絶望岩の昔話

少し昔話をしよう。
15年前のこと、
葉加瀬太郎のエトピリカをバックに岩壁を登る平山ユージ氏の映像が、今尚鮮明に脳裏に焼きついている。

絶望岩との出逢いはそれから1年後のこと、私が17歳のときだった。

以来、情熱大陸という番組のエンディングに流れるエトピリカを聞くたびにこの岩が頭をよぎるようになった。

そう、これは私の生涯の目標の話。
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絶望岩と名付けたのは、私と同じクライミング歴であるローカルの向井氏。

高さ、傾斜、ホールドの乏しさ、そしてランディングの悪さから、そう名付けたようだが私は納得いかなかった。
「いや、登れるし…」
と。
ただ、そのナンセンスな名前も、通っているうちに馴染んでしまった。image

実際に取り付いたのは2007年、24歳の時でjoyをオープンする半年前。

取り付いて初めて悪さを体感した。
…これは死ぬまでに登れるだろうか?生涯の課題、身体や技術がmaxとなる32歳までにやらねば。
と、勝手に決め、それからは追い込むために周りにも公言した。

2009/7/3
ブログ記事 私の一番大切なmotivetion より引用
climbingをはじめてすぐの頃、そのいわと出会った。
以来その岩は
ずっと
ずっと
私にmotivetionを与えてくれた。
強くなるための理由がここに在り続けた。

2012/9/25
北部九州の大水害、鶴見岳も例外ではなかった。
岩場の周辺で重機が忙しく動いてるのが見えた。いても経ってもいられず本気で走った。
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森の中に入り、走るのをやめる。
圧倒的な存在感で、遠くからでも変わらず在ることが確認できた。
その日は、脱力してしまい全く勝負にならず敗退。

2013/4/15
法事で実家に帰る。その合間に取り付き、後半のmoveが一つ解決。トップアウトへの希望が見えた。
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2013/5/13
後半からやる。はじめてトップアウトに成功した。
ブログ引用
「11年間頭の片隅にあった景色を現実に見ることができた。」
…ただ、核心は手も足も出ず、一向に可能性は見えない。すでに30歳を超えた。

2014/4
いい加減腰を据えてやらねばと、
大分でのセットの仕事を終え翌日にトライしようと調整。
しかし、岩は濡れており、夕方まで待っても乾かず。
ブログ引用
「帰り道に横目で見た憧れは、まだ濡れていた。いつまで俺を拒むのだ。」
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…そして、2014年の秋、31歳、決意まで最後のシーズンに入る。

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