それまでももちろん、九州に二段はあった。
小川山や御岳、関西周辺で二段、もしくは三段を登ったクライマーもいた。
それでも「2005年」は記憶に残っている年。
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2005年4月
福岡のクライマー枝村さんによってペインキラー(二段)が初登される。
その後すぐ再び枝村さんにより糸島の海岸にて放浪カモメ(二段)が初登される。
九州ローカルによる二段の誕生
(これより前に伝説的クライマー外林氏により初登されたデッドマンウォーキングなどもあるが、それらはほとんどがv8なので実質は初/二段)
当時、枝村さんとほぼほぼ面識がなかったよう記憶している。むしろ当時の私はボルダリングの先駆者に「リードがしたいのでボルダリングはしません」などと平気で発言するような(私は記憶にない。。。)人間だったので、先駆者たちからすればあまり印象は良くなかったと思う。
それでも私は、枝村さんの記録をずっと見ていた。
中でも 放浪カモメ 二段 の記録は印象に残っている。もしかしたら明確に二段の初登を意識しだしたのは、これがきっかけだったのかもしれない。
同年秋
ルーさん(当時熊本在住)が祝子川にて「Stigma 二段」を
同時期、私(当時熊本にて学生)も尾平にて「風の子 二段」を初登した。
その後順調に二段というグレードが追加されていき、二段は九州のクライマーにとって馴染みあるグレードになったよう思う。
※2005年以前に登られたものの中にもホワイトラング(八面山 当時初段)など、いくつかおかしな初段もあり、以前からこの次元には到達しているように思う。
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ペインキラーと放浪カモメ
放浪カモメは縁あって 2014年6月、初登者である枝村さんに案内いただき登ることができた。
逆に、ペインキラーは見たことすらなかった。
ペインキラーのある脊振山には数度行ったことがあるのだけど、その時やった岩は全て山の上にあり、山の下にあるというペインキラーの存在すら認識していなかった。
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2019年冬、栗崎が先にペインキラーの前に立つも雨上がりでトライ出来ず。岩は凄くいいと聞いた。
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2020年5月
仲間ら数人と丁度タイミングがあった、ただし時間がない。どうするか話し合った結果、そこまで遠くないペインキラーへ向かうことに。
トライ出来ても1時間程度、半分敗退を覚悟して出向く。何せ放浪カモメは相当悪かった。
久留米から思った以上に近く、1時間半のトライを許された。岩はとても良い。フットホールドがどれも渋く解析も複雑で楽しげ。
moveがわかってきたところで感じたのは、身体にかかる強度は高さ、そして指皮を抉るかの如くホールド内に在る結晶のストレス。
これは厳しい、時間があったところで長時間のトライはできないだろう。悪名轟く理由がわかった気がした。
全moveができたところで時間わずか。気温の下がった秋に出直そうと、その日のためにmove練習。すると一番嫌な2手目の感触が良くなった。
指皮抉る覚悟で本気で狙うことに。多分一発勝負だろう。
しっかり登りきることができた。
初登後15年、何故か風の子を登った日の空気を思い出した。
当時の熱量を思い出せる課題、そうじゃない課題がある。
きっとこういう課題は思い出せる方に分類される。
トライを通じ、
課題生誕に全く関係ない人らにも、きっと熱量伝染することだろう。
コアなクライマーに是非ともやって欲しい。
強くそう思った。