「舵を切る。自問、私の大義」
巨石探検道 day 2____________
2024年4月 生憎の雨。それも酷い雨。
「いつか0から面白いことを一緒にやりたいね」と話していたモリッシーと駐車場で合流し園長さんに挨拶に行く。
のち山に入る。
降り続く雨のせいで土も苔も酷い状態。モリッシーに聞くと
「ひとまずこのままやりたい」
というので私はそっと付き合った。
濡れてガバでも滑る岩、握ると水が溢れてくる苔、ずっしりとした黒い土
こんな状態で登ったのは初めてだとテンション爆上がりしていた。楽しそうでなによりかと。私は掃除。市の方々が万が一エリアに訪れても大丈夫なように枝を払ったり落ち葉を纏めたりと少しだけ綺麗にした。
正午
園長さんが市職員の方々と顔を合わせる機会を設けてくれた。10畳ほどの和室にあげてもらった瞬間モリッシーの様子が変わる。想定していなかった事態のようだ。
時間になり皆揃ったところで「ボルダリングとはなんぞや」という説明をする。リスクがある遊びに疑問点が多かったのかたくさん質問してもらえてむしろ有難かった。クライミングの説明を終えたところでモリッシーが話し出す。説明し忘れていたが実はモリッシー、パタゴニア福岡店の中の人なのだ。今後の活動も視野に入れて話を展開していた。
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夕方、雨はやまない。さすがに岩は駄目だと諦め散歩に切り替えた。周囲一帯まわった頃には全身ビチャビチャ。戻ってすぐにシャワーを借りれるこの環境は素敵だ。
夕食を済ませ再びミーティング。
昼は、岩も道もピシャっと整備すると話をしたが、何かのきっかけで園長がポロッと
「岩に3種類の苔がいるんですよね」とこぼし、すかさず私はそれを拾った。
「そういうの詳しいですか?」
と返してしばらく話は続いたが内容までは覚えていない。ただ、この一言をきっかけに舵を真逆に切ることを決めた。
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安全を理由に”過度”に環境を変化させることにずっと抵抗があった。
安全とは本来環境整備に尽力するものではなく、自身のスキルを磨くべきものなのではないだろうか?
そもそも私は何もせずそのまま登れるのなら、そのままにしておきたい。ただしエリアを公開するとなるとそうともいかずある程度は整備をする。(自分のクライミングとエリア管理との境界線が難しいし今後もきっと悩み続けるだろう。)
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クライミングに限らず、
安全や管理を名目に環境に手を加えるのが当たり前になっているように思う。そして万全の環境が提供されないければ、それを不満に思う層も出現してきている。
私の大義
「手を加えずにすむならばその方がいい。手を加えるにしても”何を残すか”しっかりと選択をする。そしてその選択をしっかりと伝える努力をする。」
ではその選択の基準とは。
そこがずっと弱かった。だから踏み切れない部分もあった。「私はこのままで大丈夫」は整備の基準にならない。安全な方がいいに決まっているという多数決には勝てない。
選択の基準
土、苔、植物、生物(環境)、浮石
開拓活動に於いて選択する場面はあげだしたらキリがない。浮石なども全て排除はしない。利用者と情報共有し回避する方向が理想だ。そうすることにより、いやそうしていかないとクライマーがクライマーに育たないと思う。そういう選択の積み重ねが今後より一層大切になってくると思う
“何を残すか”
そのヒントが園長のこぼした
「岩に3種類の苔がいるんですよね」
だと直感した。
選択は私ひとりでするものではなく、その地の生態を知る人、その地の歴史を知る人、何よりその地で過ごす人々と一緒に決定していくもの。
「その地の風土をどう考えるか、何を選択していくか」
一緒に検討し色々なことを共有しながら活動を積み重ねていきたい。という思いをメンバーに伝えて就寝。翌日の大分市内での仕事に備えた。
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