「その他ナイト含む」カテゴリーアーカイブ

リトルマッターホルン

1988年に公開され、時に埋没してしまった岩
時折掘り起こされるも、土地柄すぐに埋もれ情報の表層に出ることはなかった。
そして今回、再び掘り出したもののまた埋もれることだろう。

掘り出したことなど書かず埋もれたままの方がいいのかもしれない、そうも思ったけれど。
先人の記録はいつの日か必要になることもあるかもしれないと思い、日記を更新しようと思う。

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1987年に整備されたリトルマッターホルン
当時はもちろんボルダリングマットなんて存在しない、ということで7mを超える岩はほぼほぼがリードクライミングの対象で。

当時打たれたボルトもすでに風化し消滅したといっても過言でない状態。観光地となったこの場所に、再びボルトが打たれることはこの先もうないだろう。(もちろんボルダリングマットが進化しボルトに頼る必要がなくなったともいえる)

1988年
福岡の先駆的フリークライマー黒岩氏らにより5本のルートが完成し雑誌クライミングジャーナルに発表される。

2000年代
この岩をボルダーでやりはじめるクライマーが出てくる。その筆頭はもちろんあの人だけど、略。あまりに目立つ位置にあるこの岩は、注意喚起とともに語られ、どことなく闇に戻っていった。

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2020年6月
いざリトルマッターホルンへ。島と行っても陸繋島なので車で行ける。

想像の中で観光地だと決めつけていたが、島に入り印象が変わった。
どうも漁業、農業、共に盛んなようで島民の活気や長閑さを感じた。

これは大切に過ごさねば…と。

道端に存在するリトルマッターホルン、車を走らすこと15分。
知ってはいたが道に沿うようそびえていた。

所感「いや、、、道から近すぎやろ」

しかも岩のすぐ横には展望所。そこには、震災の際に道を塞いでいた大石の断片でできたという道路復旧記念碑もある。
ということで、1台分の駐車スペースはあるがそこは空け、手前の広い離合スペースに車を置き歩く。

いざ、リトルマッターホルンを
ラインは5本。
東壁5.11b/c / ディレッティシマ5.12a / ヘルンリ稜5.11a /北東カンテ 5.10a /北壁5.10d/11a
詳しくはクライミングジャーナル37号

高さもあり、物によってはランディングも悪い。フットワークやムーブの組み立ても不明瞭で極めて渋い。好きな人は好きだろう。
一つ言えるのは、怪我だけは絶対に気をつけたい。
グレードについてはどれもv3/3級からv5/1級あたりに感じた。この強度の岩を30年以上前に登っていると考えたら、、。

滞在時間は約2時間ほどだったけど、その間結構な数の人にあった。
地元の方のお昼休憩や、展望所から海を眺める家族、カップル、はたまた地質学者(というのかな?)。だれもが数分の滞在。長くてもタバコ3〜4本吸い終えるくらいの時間。

駐車位置はやはり手前の広いスペースがいいだろう。また、観光で訪れた方らに対してもクライミングの説明をできる準備をしていた方が良いと思われる。興味を示される方もいるはずで、きっとその方らからしたらそこで話した人こそクライマーの代表なのだから。

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今の現状としたらこんなところだろうか。

綺麗な岩ながら、ランディングや高さ、課題の内容を考えると、メジャーになることはないと思う。
初登からすでに30数年…
細々とでも、あと何十年先まで登られているといいなと思う。

(地名はあえて略、ちゃんと調べればきっと辿りつく〜。熱意をぞ。)

三つの巨石movie(2018-2020)

動画データがiPhoneの容量を圧迫してきたので少し整理。
毎度、岩場の記録はカテゴリーが同じものをひとつにしてアップしようと心がけてきたけど、今回は若干の無理やり感…

「既存エリアで登った中のそこそこでかい岩」というカテゴリーで。

①八面山 月は叢雲華は風 v8〜10 初登平嶋元氏

初登時期までは聞いてないけど相当前。噂には聞きずっと気になっていたものの、やや遠いので行き出せず。2018年12月、仕事で元さんとご一緒させてもらい、飲みの席でこの岩の話になった。となると速攻行くでしょ!
1年半前の2018年12月25日、バタバタバタバタ用事を済ませて時刻は14時。あまりの時間のなさに行くか迷った記憶が。。。
まぁ、こんなとき、だいたい行きますよね。

②万の葉 v11(三段) 初登

登る前にも登った後にも縁を感じた一本。人との繋がりに感謝。いつの日かこのエリアが公開されるのを気長に私も待ちたいと。
ランディングが相当悪く、かなり痺れた記憶がある。約一年前 2019年7月初登

③菅岳 NoName v9?(二段)

菅岳、2003年あたりに流行ったような記憶が。。。トポ上すべての課題を登ったことだけは覚えている。
トポにないこの岩自体登ったのか登っていないのか、側面は登ったような気がする。。。
そんな感じで、うっすら残されたクラシックなエリア。

掃除にかなりてこずったが、それなりに素敵な課題が登れた。

以上、3本の動画

菅岳 No Nome

福岡県南のエリア、菅岳。
時の流れの中埋もれたエリアの一つ。(実はネット上にトポもある。)
大昔、トポ上全ての課題を登ってからは行くこともなくなった。

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春が過ぎ、とうとうCovid19が地方にも広がりだす。行動も少し考えるようになる。
丁度その頃知人から菅岳の話を聞く。案外涼しく人もまずいない、今時素敵じゃないか!と。

5月28日
菅岳に出向く。当たり前だけど、人の気配は全くない。岩にはチョーク痕がチラホラと。多くはないだろうけどクライマーは来ている。

エリア奥のハイボールを見上げた。

20代前半の頃、たしかに見上げた記憶がある。けれど登ったかどうかは覚えていない。登ったとしてもどこをどう登ったか。。。当時、やまかずさんがどこかのラインに突っ込んでいき、4級だか3級にしたような、、違う岩だったような。ようは一切記憶にない。

とりあえず、いろいろやってみる。一番素敵なダブルカンテのラインはかなりやばい。そこをやる前に、その右の凹角を登る。こちらも、高さや岩の脆さ的に相当やばかったが、とりあえず4級か3級だと思う。リップからさき、積もった土がスリッピーで20分程度もたついてしまった。

車に戻る。ロープを準備し、掃除からやることに。リップに溜まった土、岩に引っ掛かった倒木、絡まる蔦、体重かけたら簡単に吹っ飛ぶフレーク…ひとつひとつ厄介で、かなりの時間を要した。

14時、ようやくクライミング再開。

見た目通りの内容、永遠コンプレッション(挟み込み)が続く。

せっかくのハイボール、新しい腰付チョークバックの使用感を確認したかったのだけれど、片手を離したら力の均衡が崩れ落ちる。コンプレッション系において、手を離すときは次のホールドを一瞬で狙うとき。よってチョークアップテストは厳しい。。。

ということで、地面でチョークバックの使用感を確認。これってジムでもできるような。。。?

さて、この日の登攀内容はというと
時間との勝負となった。

18時にはjoyの店番に戻りたい。

ハイボール、しかも後半核心のラインをやる際に時間的制限はかなりのプレッシャーとなる。
呼吸が整い指先の汗がひくタイミング、前腕のダメージがトライ可能なまで回復するタイミング、
そんなものが、焦ると若干狂い出す。

しょうもないミスが続き、時間ギリギリまでもつれ込んだ。

菅岳 ハイボールダブルカンテ NoName

右に逃げると易しくなるが、今回登った直登でのムーブグレードはv8/9(二段)くらいだろいか。ランディングが斜面ということもあり、後半パートの精神力削られる感じが何とも言えないが、シーケンス自体はとても面白く岩はかなり良い。

クラシックもいくつか再登したかったが完全なる時間切れ。またの機会に。

「ペインキラー」北部九州初期の二段の話

それまでももちろん、九州に二段はあった。
小川山や御岳、関西周辺で二段、もしくは三段を登ったクライマーもいた。
それでも「2005年」は記憶に残っている年。

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2005年4月
福岡のクライマー枝村さんによってペインキラー(二段)が初登される。
その後すぐ再び枝村さんにより糸島の海岸にて放浪カモメ(二段)が初登される。

九州ローカルによる二段の誕生
(これより前に伝説的クライマー外林氏により初登されたデッドマンウォーキングなどもあるが、それらはほとんどがv8なので実質は初/二段)

当時、枝村さんとほぼほぼ面識がなかったよう記憶している。むしろ当時の私はボルダリングの先駆者に「リードがしたいのでボルダリングはしません」などと平気で発言するような(私は記憶にない。。。)人間だったので、先駆者たちからすればあまり印象は良くなかったと思う。

それでも私は、枝村さんの記録をずっと見ていた。
中でも 放浪カモメ 二段 の記録は印象に残っている。もしかしたら明確に二段の初登を意識しだしたのは、これがきっかけだったのかもしれない。

同年秋
ルーさん(当時熊本在住)が祝子川にて「Stigma 二段」を
同時期、私(当時熊本にて学生)も尾平にて「風の子 二段」を初登した。

その後順調に二段というグレードが追加されていき、二段は九州のクライマーにとって馴染みあるグレードになったよう思う。

※2005年以前に登られたものの中にもホワイトラング(八面山 当時初段)など、いくつかおかしな初段もあり、以前からこの次元には到達しているように思う。

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ペインキラーと放浪カモメ

放浪カモメは縁あって 2014年6月、初登者である枝村さんに案内いただき登ることができた。
逆に、ペインキラーは見たことすらなかった。

ペインキラーのある脊振山には数度行ったことがあるのだけど、その時やった岩は全て山の上にあり、山の下にあるというペインキラーの存在すら認識していなかった。

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2019年冬、栗崎が先にペインキラーの前に立つも雨上がりでトライ出来ず。岩は凄くいいと聞いた。

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2020年5月
仲間ら数人と丁度タイミングがあった、ただし時間がない。どうするか話し合った結果、そこまで遠くないペインキラーへ向かうことに。

トライ出来ても1時間程度、半分敗退を覚悟して出向く。何せ放浪カモメは相当悪かった。

久留米から思った以上に近く、1時間半のトライを許された。岩はとても良い。フットホールドがどれも渋く解析も複雑で楽しげ。
moveがわかってきたところで感じたのは、身体にかかる強度は高さ、そして指皮を抉るかの如くホールド内に在る結晶のストレス。
これは厳しい、時間があったところで長時間のトライはできないだろう。悪名轟く理由がわかった気がした。

全moveができたところで時間わずか。気温の下がった秋に出直そうと、その日のためにmove練習。すると一番嫌な2手目の感触が良くなった。

指皮抉る覚悟で本気で狙うことに。多分一発勝負だろう。

しっかり登りきることができた。

初登後15年、何故か風の子を登った日の空気を思い出した。

当時の熱量を思い出せる課題、そうじゃない課題がある。
きっとこういう課題は思い出せる方に分類される。

トライを通じ、
課題生誕に全く関係ない人らにも、きっと熱量伝染することだろう。

コアなクライマーに是非ともやって欲しい。
強くそう思った。

草原にて

緊急事態宣言該当期間、私なりにかなり気を使って行動したつもり。
covid19という存在が私自身よくわかっていない、だから余計なことはしないでおこうという気持ちから…。

きっとみんなも同じだろう。
なのになぜこうも「何が正義何が不正」を決めたがるのだろう?と。

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期間が明けた次の週の話。
北九州の開拓者、武下さんと岩へ。

(武下さんの紹介は過去どこかの記事でもてもらえたら)

草原のエリアを案内してもらった。すでにクリーンなエリアではあるものの、今現在このエリアを楽しんでいる人らを配慮し、情報は日記程度の内容に留めたいと思う。

詳しくはここを知る人らへ尋ねてほしい。

周辺には10代の頃何度か来たことがあったものの、ここで登るのははじめてだ。写真で見たその岩が素晴らしい環境下にあることはわかっていたけど、想像以上に壮大な地形で少し感動した。

街からすぐ近くにこんな場所があるとは……。

いくつかの枝村クラシックを登り、ローカルが遊んでいる岩を教えてもらう。

日差しがとても強く、夕方若干体調を崩す。回復に1日かかったものの、心地良い余韻はしばらく残っていた。気が滅入ったとき訪れれば、一気に吹っ飛びそうなロケーション。またいつの日か。

「武下さん、ありがとうございました!」