森に入ってすぐに遭遇する巨石。
木漏れ陽の当たるその光景はとても神々しく。
初めて森に入ったあの日見た情景は未だ鮮明に思い出される。
高校生活の終わり頃のこと。
ー
続く大学生活では帰省の度、無数に点在する石ころを求め森を彷徨った。
朝、見上げ様に挨拶をし脇を抜ける。
遠くで蛍の光が流れはじめた頃、背に気配を感じつつ山を駆け降りる。
いつの日か、脇を抜けることはなくなりそのままそこで夕方まで過ごすようになった。
到達できない壁、
いつしかそれは生涯の目標となり、
生涯最大パフォーマンスが発揮できる頃に挑む事を決めた。
そして満ちたりたと体感した2014年、ハング脇を抜けるライン、「エトピリカ」を初登。
終止符を打った。
ー
なのにその後もズルズルと通い、
2016年、ハング最強点「常磐」を初登。
ー
さらにはまだ中央が残っている。最後のライン。
丁度良いスタートホールドはいつも濡れていた。
決着をつけようと思いたち10日以上晴れたある日に狙ったりもしたが乾いておらず、もう乾く日はないのかと諦めた。
ー
2022年10月31日
ふと立ち寄り眺めてみた。相変わらずスタートホールドは濡れている。
それでもこの日、何となく良い気がして少しだけやってみることに。
いつも通り最初のランジで弾かれる。
昼過ぎ、濡れた指先を気にしながら絶望岩の正面を通過していく自身を俯瞰している別の自分がいた。
–
初めて見上げたあの日
「こんなところ登れるはずがない、登れたとしてもその脇だ」
と、思いつつも
「この先の時代このハング登るやつでてきたらホントすげぇな」
なんて未来の話をした。
そんなものを今現実に登ったんだ。
特に覚悟を持って挑んだわけでもなく、登れるつもりもさらさらなかった。
その日の夜、
ふつふつと表現のしようのない感情に支配される。
私にとって絶望岩は何だったのだろうか。
登れてしまったらいけないものだったのだろうか。
漠然とした喪失感はなんなのか。
名をFARとし、グレードは定めない。
初めて森に入ったあの日に見た情景は今も変わらず。いつだってこの岩にときめく事ができる。木漏れ陽あたる神々しい絶望岩。
登れてしまったから来る理由がなくなった、とかそういうものではない。
そのうちまた帰ってくるだろう。ありがとう。