今だからこそ思う最強のトレーニング壁。
第二のルーツ、[ ボル天 ]
ガバ足や無駄にデカい足がなく足自由だとしてもちゃんとクライミングをさせられる。
[ 昔の話 ]
拠点を大分から熊本に移した大学時代。
当時のボル天は怖かった。いかつい人が多くその中には現ランチのオーナー(日之影ボルダー代表)、今は鹿児島に拠点を移した先駆者ルーさん、熊本に根付き街おこし的開拓を進めている山一さんらを筆頭に九州を代表する重鎮勢が。
ボル天に入門したてのころ、岩に誘われても「リードしかしないんで」なんて生意気なことを言っていた私を(記憶にないけれど)ジャンル問わず誘ってくれた先輩方には本当に感謝しかない。何よりジム代金を滞納するようなだらしない私を4年間ずっと引っ張ってくれたボル天オーナー飽本さんには頭が上がらない。
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当時の私は4級すら登れなかった。登れない課題、無限に思える有限の課題がそこにはあった。それがあまりに楽しく、通いはじめたあの日から卒業するその日までただひたすらにやり続けた。
ハードな課題の作成者は大体決まって1学年上のクライマー。
[ カリスマ 外林一穂 ]
大学入学と同時にボル天でクライミングを初めた彼は1年ちょっとで頭角を現す。腕試しに出たという全国規模のコンペでいきなり上位に。同年、御岳に出向いては「虫/三段」「蛙/三段」を数トライで完登。九州にはまだ二段がない時代の出来事。そんな彼がボル天に課題をつくる。私はただ虱潰しにそれを追いかければいい。
(※数々の成果を残した彼は就職を機にキッパリとクライミング界を去った。)
彼が去ってからもホールドチェンジのないまぶし壁の中で、私は彼の進んだ道を追いかけた。一緒に登ることこそなかったけれど、ハードな課題を一人向き合う時間があったからこそ今の私があるように思う。登れず終いとなった2本は未だ心の底で強烈に燻っている。
「今の話」
2024年6月
所要で熊本に。夕方時間ができたので寄ってみることに。
随分と変わった熊本の街。ボル天のある路地に入った瞬間、当時の記憶が蘇った。暑い日も寒い日もこうして歩いて通っていた。
懐かしのボル天は生憎営業時間外。せっかくなので飽本さんに電話してみるとすぐに駆けつけ開けてくれた。当時同様しっかり甘え登らせてもらうことに。
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しばらくすると最近入門したであろう若い人がやってきた。ついさっき「もう昔みたいにアドバイスはしてない」と話していた飽本さんは、あの頃と変わらず優しく声掛けをしていた。
必要最低限の言葉数ながら的確で”丁度いい努力を必要とした課題"を用意してくれる。声掛けも課題作りも「旬」という概念を教えてくれたのは飽本さんだったように思う。
「十よりかえる基のその一」
ボル天で過ごした4年を想う。
熊本を選び、ボル天に入門できたことが本当に良かった。と同時にいずれうちもこんなジムに仕上げたいと強く思った。
少なくともまぶし壁は今すぐ復活させようと心に決め日も暮れたところで撤収。また。