「その他ナイト含む」カテゴリーアーカイブ

21年来、Black jack

意図せず降りた河原を巡り、偶然目の前に現れた岩。
21年前手も足も出なかった記憶が蘇った。

当時、登れそうなんて感じさせてもらえなかった。悔しく悔しく思う反面可能性は感じ、きっと強いやつなら登るんだろうなと憧れもした。


灼熱中では何もわからなかった2024年夏、再訪を決めた。

2024年11月

気候に助けられはるかに感触が良かった。21年前に感じた可能性は確かなものだった。石の折り重なるランディングを理解しつつ着地になれたところで出力を上げる。

僅か3手の勝負、それも真っ向。こういう岩が好きだ。

BLACK JACK 三段 初登

*二ヶ月後、一宮もいい岩だと絶賛してくれた。

「きっと強いやつなら登るんだろうなと憧れもした。」
21年前感じた理想には近付いている。

アトランティス 三段

夕方、もう一本の心残りを登り日暮れまで遊んだ。

 

北川ボルダーの昔

北川ボルダー

1990年代後半に小半クラブ(本匠開拓チーム)メンバーにより登られ出す。
2000年に入り熊本ボルダラーの”旬なエリア”となる。
枝村さんやルーさん、ヤマカズさん、伝説的存在イッスイさん、ランチの清川さん、ボル天の飽本さん、タミナガさんら筆頭に総出でワラワラと遊びに出向いていた。

 

2003年、もちろん私も通った。それこそ我がホームゲレンデ鶴見岳の先駆者、小半クラブ所属/宮本さんにイイ岩があると紹介されて色々と着手した。
同じホームジム(ボル天)ながら一緒に行ったのは一度だけだったけど、手書きのトポで紹介いただいた。

本匠で目的のルートを勝負する合間に立ち寄っていたがほとんどの岩が勝負すらさせてもらえず。
登れそうとすら感じさせてくれない岩に悔しく思う反面、きっと強いやつなら登るんだろうなと憧れもした。

折れた心にやさしくも素晴らしい既存課題が癒してくれた。

 


2024年夏 延岡帰り

意図せずたまたま降りた河原がまさしくその場所で。
当時の記憶が蘇った。

季節もあり、主にクラシックを巡ったが良い時期の再訪を決めた。

secret chain

2024年10月17日

前日の雨酷く、親指もまだまだ治らず未だドローン以外は履けない。

開拓は無理だしprojectもやれた感じでもないので玖珠川にあるひとつだけ転がった小石をやることに。そこまでスケールはないものの、フェイス中に必要最低限あいたポケットが面白そうでいつか対峙するその日を密かに楽しみにしていた。

ポッケがエグすぎる初めは離陸すらできなかったけどアップが終わる頃にはポッケの奥の湿気も感じなくなりmoveをつくることができた。予想外にリップ付近も悪かったけれど雨がひどくなる前に登りきることができた。

〈 シークレットチェイン 初登 〉

予定より早めの撤収となったけれど秋という名の梅雨真っ只中ということで、まぁこんなもんだろうと。

北の街のゲレンデ

街に囲われた山の上にあるゲレンデにて。

〈 9月30日 〉

26日に左足親指の骨をやってしまいどうかと思ったが、固定したらなんとかドローン2.0が履けることがわかり決行した。リードなら多分大丈夫。

*

山麓で先駆者らと合流しゴンドラに乗り込む。街のど真ん中に聳えるだけあって景色が素晴らしかった。

歩きなしで山頂に着き岩場まで下る。斜面を歩くとやはり痛い。こんなんで登れるのかと少し不安になったが意外とクライミングは大丈夫だった。

アップを済ませとりあえず5.12bまで登りprojectを紹介してもらった。私好みのハングで粗方シーケンスはできたが大核心が左足踏み込み。正直今の私では可能かどうか判断できなかった。

自己管理能力が原因でこの日のクライミングはイマイチだったけれど、それでもやっぱり岩での一日は良く日暮れまで楽しませてもらった。今季中に万全な状態でもう一度向き合いたい。

カンタと歩いた日

この冬カンタが旅出つ。
その前に少しでも一緒に活動しようと日程を調整した。

今更出来上がったエリアに行ってもお互いときめかない。ということで栗崎アドバイスにより未知なる渓谷へ。

ー 9月17日 ー

谷に降りても気温は落ちず汗は一向に止まらない。それでもお互い休むということを知らずひたすら歩き続けた。

この気候に丁度良い岩には出逢えなかったし生産性のある活動だとは思えないけれど、そんな日も
楽しいといえる仲間と過ごせるってある意味幸せかもしれない。


帰り道、日暮れまで小岩で遊び、夜は栗崎邸の壁でセッションした。
負けじと若さに争い遊びきり疲れ果てたけどやっぱり良い1日だった。