「鶴見岳★★2002」カテゴリーアーカイブ

「幻霧鶴」他

帰省の合間に少しだけ岩登り。

4月24日 鶴見岳

鶴見岳

1995年頃、宮本さん(熊本)によりトップロープエリアとして整備されコンペが行われる。2000年代に入り私ら暘谷高校(OB)組でボルダリングエリアとして開拓開始。

1シーズン過ごし一部公開。

10代の暮れに初めて初登した初段「さらば友よ(現v8)」、そして二段「ユグドラシル(v9)」、さらには初めて初登した三段「幻霧鶴(ゲンムカク) 」がここにある。
幾度となく限界を引き上げてくれたエリア。

今回は幻霧鶴のあるラガーハングへ。
情報なしでは遭難のリスクある最奥。

久々にみたラガーハングはやはり格好良かった。

アップを済ませいざ幻霧鶴。

ホールドが若干欠けていることもあり、初登時のマニアックなキョンはできる気がしなかった。
ダイナミックに熟そうと決めたもののランディングが悪く着地が難しいため思い切れない。マットを一枚追加し何とかリピートすることができた。

幻霧鶴 v10

その後空麒麟(カラキリン) 初段とモルヒネ1級を。
ともにv8はあるように思う。

トポを纏める前に全課題のグレードの見直し、そして掃除が必要だと感じた。ぼちぼちやろう

 

絶望岩 FAR

森に入ってすぐに遭遇する巨石。
木漏れ陽の当たるその光景はとても神々しく。

初めて森に入ったあの日見た情景は未だ鮮明に思い出される。
高校生活の終わり頃のこと。


続く大学生活では帰省の度、無数に点在する石ころを求め森を彷徨った。

朝、見上げ様に挨拶をし脇を抜ける。
遠くで蛍の光が流れはじめた頃、背に気配を感じつつ山を駆け降りる。

いつの日か、脇を抜けることはなくなりそのままそこで夕方まで過ごすようになった。

 

到達できない壁、
いつしかそれは生涯の目標となり、
生涯最大パフォーマンスが発揮できる頃に挑む事を決めた。

そして満ちたりたと体感した2014年、ハング脇を抜けるライン、「エトピリカ」を初登。
終止符を打った。

なのにその後もズルズルと通い、
2016年、ハング最強点「常磐」を初登。

さらにはまだ中央が残っている。最後のライン。
丁度良いスタートホールドはいつも濡れていた。

決着をつけようと思いたち10日以上晴れたある日に狙ったりもしたが乾いておらず、もう乾く日はないのかと諦めた。

2022年10月31日

ふと立ち寄り眺めてみた。相変わらずスタートホールドは濡れている。
それでもこの日、何となく良い気がして少しだけやってみることに。
いつも通り最初のランジで弾かれる。

昼過ぎ、濡れた指先を気にしながら絶望岩の正面を通過していく自身を俯瞰している別の自分がいた。

初めて見上げたあの日
「こんなところ登れるはずがない、登れたとしてもその脇だ」
と、思いつつも
「この先の時代このハング登るやつでてきたらホントすげぇな」
なんて未来の話をした。

そんなものを今現実に登ったんだ。
特に覚悟を持って挑んだわけでもなく、登れるつもりもさらさらなかった。

その日の夜、
ふつふつと表現のしようのない感情に支配される。

私にとって絶望岩は何だったのだろうか。
登れてしまったらいけないものだったのだろうか。
漠然とした喪失感はなんなのか。


名をFARとし、グレードは定めない。

初めて森に入ったあの日に見た情景は今も変わらず。いつだってこの岩にときめく事ができる。木漏れ陽あたる神々しい絶望岩。

登れてしまったから来る理由がなくなった、とかそういうものではない。
そのうちまた帰ってくるだろう。ありがとう。

 

 

夏の鶴見岳

8月5日

所用で急遽帰省(別府)。夕方時間が出来たので鶴見岳へ。

学生時代、夏休みを利用し電車とバスでほぼ毎日のように通いこんだ事を思い出した。今も変わらず、この山は涼しい。15時あたり、必ずといっていいほど夕立にやられる。この日も例外なく。

ということで夏に登れはするものの岩自体のコンディションはあまりよくない。

ダメ元でprojctをやったがダメ。とりあえずバリエーションを一本登る。

ゲートが閉まる前にエリアを移動。

狭霧台へ。ロケーションは良いがどれもランディングが悪い。

ブラウニー v5/1級?

美しい夕陽を見終え撤収。

絶望岩、濡れたホールド

手帳を見返さねば、もはやいつの事かもわからない11月のある日。
鶴見岳へ。

目的はローカルクライマーの案内、
利用するにあたって気をつけてもらうと良い点などは、やはり口伝した方が想いも伝わると思ってやや遠いが行ってみた。

人の岩登りに関して、私が書くことではないので極力書かないようにしているのが、
個人的には楽しんでもらえたのではないかなと思っているし、気持ちの入った登りも見れたので良かったと思う。


私自身はリピートメイン。

登って見て思ったのが、グレードが多少ずれているということ。
2003年あたり、ようは10代の時に登ったのが特にあてにならない。
実家に長期滞在する時に一旦見直そう。

少しだけ絶望岩のprojectをやった。
相変わらずスタートとしているholdは濡れていた。
ここ5年、乾いているところを見たことがない。

いつ乾くのか、とりあえずその状態でやってみると思いのほか感触が良い。
これは常盤V12やエトピリカよりも登りやすいだろう。

問題はいつ乾くか…、もしくはこのまま登りきるしかないのか。
何にせよ、中央始まり中央突破のこのラインは登りたい。


わざわざこのために来るほどでもないが、帰省して暇が出来た時にでもやろう。


夕暮れに降り行くゴンドラを見て、昔を思い出した。
よくボロボロになりながらも今と同じ光景を見て、充実した1日の終わりを感じた。

あの頃よりも遥かに登攀能力は上がったし、
時間と労力の費やし方は上手くなった。
ただ熱の込め具合は如何なものか…

帰省、セットと岩

3/12
午後より鶴見岳にて過去の課題整理。
電子データでトポを作り始める以前の課題は記録が浅い。
しかもここは2000年あたりの課題も結構あるため記憶も浅い。

とりあえず最奥より確認していったが結果から言うとグレードも結構いい加減なものが多かった。
というのも当時の限界グレード(初段あたり)はこの地で押し上げたのだから、我ながら仕方ない気もする。

途中、拉致して同行した若者も一本初登した。

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作業に飽きてきたころ、まだ触っていない岩を求めてエリア移動。
道中、微かに岩が見えたので車を適当に停め確認。
するとその岩はかなり上質なものであった。
残念なことに結構濡れていたが、とりあえずやってみることに。

どのラインもキーホールドが濡れていたが、
無理やり保持し、かろうじて一本登れた。

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v10クラスに感じたが、出だしで指先が湿気てしまうのでイマイチ正当な難易度はわからず。
とりあえず 時を駆けるオヤジ v9とする。

隣で平もv5あたりを一本初登していた。

夜は、もともと師匠と呑みの約束をしていたので実家に車を置き、電車で大分駅前へ。
じっくり二人で飲んだのはもしかしたら初めてかもしれない。
…と、思っていたがこの日も許容量を遥かに越えるほど飲み、何を話したか覚えてすらない。
ということは、以前一緒に飲んでいたとしても記憶には残っていないのだろう。

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3/13
本題のセットの日。
今回は本数が要求される内容。
作業の出来るサポートの人数が多く、さらに試登してもらえるメンバーがバラエティに富んでいたので非常に助かった。
あとはグレードとタイプ配分を事前にし、初期セットで偏ることなく準備できたので夕方からの作業も非常に上手くいった。最高な環境で、最高速度、時間にゆとりが出来たため、上級入り口の課題も準備することができた。
今回は本当に上手くいったと思う。
一つ残念なのが、外を見るたびに強く降り続ける雨、何度見ても雨、岩が濡れる……。

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夜はとても美味しい肉屋へ。
大分のクライマーや他のゲスト達と沢山話した。
少しでも刺激になれたなら幸いですが…。

3/14
久々にアルコールの残っていない朝を迎えた気がした。
が、道路は濡れている。
仕方ないので実家から数分の桜を見に行って、少し時間を潰し、岩へ。

案の定生乾き。
とりあえず1時間程度projectをトライし、何となくmoveをバラした。

夕方、少し登り足りなかったので、以前目をつけていた岩をやる。
少し高いが、v4程度なのでマットは車に置き、スタートマットだけもって歩く。
いざ取り付くと実に悪く、実に渋い。

moveが分かりにくい……。
仕方なく、着地覚悟で選択肢を削っていき、ようやくわかったころには日暮れ寸前。
そこからも一発では決めきれず…何とか時間ギリギリで登ることが出来た。

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カントリーロード v6程度であろうか。
充実したクライミングを達成したところで本日も無事終了。