「仕事旅」カテゴリーアーカイブ

ラボにて!!!

いつも楽しげボルダリングYoutuber、
ボウズさんのところに遊びに(もとい)お届け物を届けに、

あわせてルートセットのお仕事に行ってきました!

[ 山口ボルダリングジム らぼにて ]

動画通り、いつも楽しい雰囲気裏腹に課題は締まりまくってます。

いつも通り無茶振りセットかと思いきやボリュームたくさんあるしmaxがない!ということでやさしめのグレードからマックスを味わえるようセットしてきました🔥

みんなで全25課題、その後も追加されてるようなので30本近く増えたんじゃないでしょうか!

楽しげな様子はいつも通りボウズさんのYoutubeへ⬇️

全傾斜満遍なく5級から二段まで、お楽しみくださいませー

広大なココペリにて

「 ときめく強烈な一手 」
そのテーマをもとに課題を残してきました!


11月12〜14日

広島(福山) ココペリ にて
7級〜二段まで新設ラインセットで約90本以上セット!


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セッターは西のロッククライマーレジェンド稲垣さんと、
ベーシックな高負荷課題を作らせたらトップワンのコロちゃん

しっかりトレーニングをするなら、
しっかり身体に良質な負荷をかけるなら、

間違いなくココでしょ!!!

最近のボリュームやビッグホールドは本当に面白く壁に張っただけである程度課題が成立する。

「当時はクライマーの能力値が満遍なく育つよう配列するよう訓練された(しごかれた)」

と休憩中に聞き納得した。ボリュームが存在しない時代、面白い課題を作ろうとしたら工夫がいる。その時代を越えてきた人らが仕上げた配列はちゃんと良い負荷が入る。


楽しい課題は作りやすくなった現在、
いかにプラスアルファを組み込めるかが大切じゃないかと思わせてくれた二日間でした。

何かしらの一手にときめいてもらえたら幸いです!

 

日田の無人ジムにて

自主練の最適解、
久々に” まぶし壁セット” の依頼。
それこそ10年ぶりくらいかもしれない。

– 11月7日 –

日田(大分県)にある無人ジムにて。

今回は珍しいパターンでそのジムのオーナーからではなく常連さんたちからの依頼。費用も有志で持つということで。

よくうちに遊びにきてくれるメンバーたちからの依頼。

「 しばらくトレーニングができる壁 」

事前に何度か打ち合わせをして120°と130°のまぶし壁をつくることに。

当日は知った方々が駆けつけてくれ作業効率が格段と上がった。最終的に2面ボルト穴全て埋めるくらいの仕上がりで、課題も単身ながら半ラインセット(ホールドカラー不統一)で5級から1級それぞれ4本ずつの計19本。

課題構成も奇抜なものは排他しできる限りトレーニングになるものを。当分は楽しめると思うし何よりセッションしやすいと思う。

登った感想でも話にまたうちにも遊びにきてほしい。ご依頼ありがとうございました。

帰りに見た夜空が綺麗だった。

Spookyにて

課題は旬なうちに…

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ずっと来てみたかった場所、
広島県大竹のクライミングジム spooky/スプーキー

オーナーはずっと会いたかったロッククライマーのひとり。
戸河内きっての秘境、三段峡の初動開拓者。山奥に残された数本の課題から感じた熱い日々、会える日が楽しみで仕方なかった。

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10月21日/spookyにてルートセット

110°壁一面を自由にさせてもらいました。
ボリューミーな見た目ながら、ポジショニングにどこか岩香る仕上がりにできたと思います。
1級までグレードごと3本計12本。各グレード一本はポップなものも!

 

岩場も近いスプーキー、旬なうちに是非。

ツムグセカイ四段はもちろん、名課題シンギュラリティやハイパーエナジーの初登者で岩の話もたくさん聞けると思うのでまったり時間つくることをオススメします!

第二のルーツ[ボル天|熊本]

今だからこそ思う最強のトレーニング壁。

第二のルーツ、[ ボル天 ]

ガバ足や無駄にデカい足がなく足自由だとしてもちゃんとクライミングをさせられる。

[ 昔の話 ]

拠点を大分から熊本に移した大学時代。

当時のボル天は怖かった。いかつい人が多くその中には現ランチのオーナー(日之影ボルダー代表)、今は鹿児島に拠点を移した先駆者ルーさん、熊本に根付き街おこし的開拓を進めている山一さんらを筆頭に九州を代表する重鎮勢が。

ボル天に入門したてのころ、岩に誘われても「リードしかしないんで」なんて生意気なことを言っていた私を(記憶にないけれど)ジャンル問わず誘ってくれた先輩方には本当に感謝しかない。何よりジム代金を滞納するようなだらしない私を4年間ずっと引っ張ってくれたボル天オーナー飽本さんには頭が上がらない。

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当時の私は4級すら登れなかった。登れない課題、無限に思える有限の課題がそこにはあった。それがあまりに楽しく、通いはじめたあの日から卒業するその日までただひたすらにやり続けた。

ハードな課題の作成者は大体決まって1学年上のクライマー。

[ カリスマ 外林一穂 ]

大学入学と同時にボル天でクライミングを初めた彼は1年ちょっとで頭角を現す。腕試しに出たという全国規模のコンペでいきなり上位に。同年、御岳に出向いては「虫/三段」「蛙/三段」を数トライで完登。九州にはまだ二段がない時代の出来事。そんな彼がボル天に課題をつくる。私はただ虱潰しにそれを追いかければいい。

(※数々の成果を残した彼は就職を機にキッパリとクライミング界を去った。)

彼が去ってからもホールドチェンジのないまぶし壁の中で、私は彼の進んだ道を追いかけた。一緒に登ることこそなかったけれど、ハードな課題を一人向き合う時間があったからこそ今の私があるように思う。登れず終いとなった2本は未だ心の底で強烈に燻っている。

「今の話」

2024年6月

所要で熊本に。夕方時間ができたので寄ってみることに。

随分と変わった熊本の街。ボル天のある路地に入った瞬間、当時の記憶が蘇った。暑い日も寒い日もこうして歩いて通っていた。

懐かしのボル天は生憎営業時間外。せっかくなので飽本さんに電話してみるとすぐに駆けつけ開けてくれた。当時同様しっかり甘え登らせてもらうことに。

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しばらくすると最近入門したであろう若い人がやってきた。ついさっき「もう昔みたいにアドバイスはしてない」と話していた飽本さんは、あの頃と変わらず優しく声掛けをしていた。

必要最低限の言葉数ながら的確で”丁度いい努力を必要とした課題"を用意してくれる。声掛けも課題作りも「旬」という概念を教えてくれたのは飽本さんだったように思う。

「十よりかえる基のその一」


ボル天で過ごした4年を想う。
熊本を選び、ボル天に入門できたことが本当に良かった。と同時にいずれうちもこんなジムに仕上げたいと強く思った。

少なくともまぶし壁は今すぐ復活させようと心に決め日も暮れたところで撤収。また。